子どもたちに、自分が楽しんでいる背中を見せたい
もうすぐ4歳になる娘に抱きつかれながら、そう笑顔で語ってくれた『おチビママあつこ』こと朝隈敦子さん。
Zoom画面越しに見えるご自宅は素敵なインテリアで飾られており、とても1週間後に引越しをするようには感じられない。
「夫は入院中なんです」と、申し訳なさそうに敦子さんは言った。
”正しくあること”が存在意義だった
小学生の頃から「真面目で努力家、親が敷いてくれたレールの上を必死に走ってきた」と話す。
成績優秀で、人の役に立てる仕事として医者を目指していたが、医学部なら国立のみと言われていた中ご縁がなかった。それでも医療分野で活躍したいと考え、薬学部に転向した。
6年に及ぶ課程を修了し病院薬剤師として勤務を始め、40人の病棟を1人で担当するほど業務を任されていたが、3年で辞めることになる。
「体重が35kgにまでなりました。ガリッガリで背骨も見えちゃうような。生理も止まってしまって」
人の命を預かる医療現場では、その責任の重さゆえの緊張感が張りつめる。目の前で亡くなる人を看取り、自分を責めることもある。さらに勤務時間も長く、様々な苦しみがのしかかり体調にあらわれる中で、敦子さんは公私の選択を考える。
「不妊だと分かって。子どもが欲しかったので、このままではまずいと思いました」
学生時代からお付き合いしていた彼と、数年の同棲を経て結婚していた。薬局勤務に転職し、不妊治療、そして流産を乗り越えて待望の第1子を授かったが、この頃には夫の酒量が増えていることに気づいていた。
夫の勤務先はブラック企業と言っても過言ではなく、夜中1時帰りは通常運転だったが、家族を養うために高給であることを優先していた。
お酒が入っていないときは普段通りの優しい人で、酔っているあいだの記憶がない。
ずっと診察を避け続けていた夫にアルコール依存症の診断が下ったのは、娘が1歳の頃だった。
一時は離婚の文字が頭をかすめたが、”病気”だと分かると「治ってほしい」と思った。
「お酒さえなければ。そう思って夫に何度も諭したけど、今思えば家で見張られているようで安らげなかっただろうなと」
正論をぶつけて度重なる喧嘩も激しくなり、夫の病気も悪化していく。敦子さんが心身共に疲弊していたとき、自立を目指す女性のためのコミュニティに出逢ったことでパラダイムシフトが起きた。
エニアグラムファッションとの出逢い
夫を変えようとする自分から、自分自身が楽しいと思うことに集中する自分へ。
仲間と共に学び、励まし合い、そんな変化が起きたことで今までと違う世界や”生きがい”を見つめ、夫に集中していた意識を他に向けられるようになった。
その頃、敦子さんが現在ライフワークとしている『エニアグラムファッション』の師匠に出逢う。
エニアグラムという心理学をベースとした精微な性格診断と、目指す姿に合わせたファッションを掛け合わせた取組み。
「私はとにかく”正しい”ことが大切な人。自分を理解できて腹落ちしたし、俯瞰して見られたことで夫のことも理解できた」と敦子さんは言う。
こうして夫婦の距離感はいい塩梅を保てており、喧嘩が大幅に減ったことで夫の調子も良かった。入院治療にも素直に応じてくれた。
このまま治ってくれるのではないか-
希望が見え始めた頃、祈りも虚しく夫の病状は急に悪化する。職場環境が影響していた。それでも敦子さんは諦めずにいたが、事態は悪くなるばかり。遂にある日、昔の面影もない変わり果てた様子を見て愕然とする。
夫を説得し再入院させ、自身と娘の人生を最優先に考えた結果、別れを決意した。心を痛めながらも家を出る準備を進め、今日に至っている。
自分のことが分からないと困難に立ち向かえない
優しかった夫が変わっていく中で、敦子さんはどのようにして踏ん張り、心を保ち続けたのか?
自分のことを理解していれば「揺るがない」と敦子さんが笑った。
本当に大変だった頃は、あと一歩を踏み出すこともできないほど疲弊していたと語るが、「”正しい”ことよりも”楽しい”ことを」と切り替えられてからは心を保てるようになったそうだ。
”○○でなければならない”なんてものは思い込み。その正しさや責任感が、自分も人も苦しめる。”これでいいんだ”と自分の理解者になることの大切さを教えてくれた。
これからどう生きたいか?という問いかけに、敦子さんはこう答えてくれた。
「私はもう、自己犠牲の生き方はキッパリやめます。自分の幸せ、娘の幸せを大切にして、自由に柔軟に生きていきます」
今回のstand.fm コラボトーク収録はこちらからお聴きいただけます。
今後の連載情報は【LINE公式】Amigo a.k.a. あんちゃん よりアップデートいたします。